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災害関連記事の保存
<東日本大震災>娘2人失った父、悲しみから一歩…石巻
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110907-00000001-mai-soci

 幼い我が子を失った悲しみに終わりはない。それでも残された人たちは生きていく。東日本大震災から半年。10歳未満の子供の死者は約400人に及ぶ。宮城県石巻市の三條慎哉さん(37)は小学生だった2人の娘を失った。入居して1カ月がたつ仮設住宅には、同じ地区に暮らした人々が集まる。娘を知る、生き残った同級生たちの姿が今、三條さんの生きる支えになっている。【安高晋】
 8月下旬の夕暮れ時、北上川沿いに建てられた仮設住宅の敷地。女の子が、集会所前の階段に座る三條さんに近寄ってきた。
 「舞夕(まゆ)ちゃんのお父さん、自転車直して」
 次女の同級生だった。「はいよ」。自転車のスタンドを調整してあげると、笑顔で礼を言って走り去った。
 ◇
 小3の長女、葵ちゃん(9)と小1の次女、舞夕ちゃん(7)。市立大川小に通っていた。児童の7割に当たる約70人が死亡。今も4人が見つからない。
 あの日、会社が休みだった三條さんは、すぐに消防団の服に着替えて飛び出した。同居する妻の母が「孫が帰らない」と心配する声を遠くで聞いた。同僚とポンプ車で避難を呼び掛けて回った。
 目前に迫る津波に気付いたが、すぐに車ごとのみ込まれる。入り江に浮かぶ材木の切れ端を必死でつかみ、水面に顔を出した。
 同僚にも、三條さんと同じ小3と小1の2人の娘がいた。「きっと生きてる」。雪が降る中、励まし合って寒さに耐えた。約4時間後、岸に流れ着いた。
 翌朝、小学校周辺の光景にがくぜんとする。町がない。学校は廃虚。橋のたもとには小学生くらいの背丈の子供の遺体があった。絶望の中、翌日たどり着いた内陸の集落で、同僚の2人の子が無事だと知る。同僚は声を抑えきれずに号泣した。
 俺の子は……。思いを封印し、三條さんは、「本当に良かった」と喜び、同僚を抱きしめて泣いた。
 三條さんの娘2人の遺体は、その後相次いで発見された。「うちだけ、すまない」。泣きながら謝る同僚に、言った。「そんなこと考えなくていい。(娘の)同級生なんだ。成長を見るのが楽しみだ。俺の心の支えだ」
 ◇
 消防団が捜索活動を打ち切ってからも、同僚と2人でスコップを担ぎ、現場に通った。「今度は俺が、他の子を見つけてやる番だ」という思いだった。
 お父さん子だった葵ちゃん。震災の前の晩、「一緒の布団で寝ようよ」と甘えてきた。それなのに、テレビを見ながら「今日はいいよ」と言ってしまった。小さな願いを、なぜあの日に限って聞いてやれなかったのか。後悔は消えない。
 「一輪車を教えて」とせがまれたこと、自分から「習いたい」と言い出したそろばん教室へうれしそうに通う姿……。思い出は今も浮かぶ。だが最近は、2人の声を思い出しづらくなってきた。
 ◇
 走り去った女の子が戻ってきた。「これお礼」。自転車を直してくれた三條さんにビスケットを手渡した。
 女の子も、姉を目の前で亡くしていた。母親に「なんで私は生きてるんだろう」と問いかけたことを、三條さんは後から聞いた。
 別の子がやって来た。「遊ぼう」。一緒に助かった同僚の娘だった。
 地区の子は、みんな知っている。物心ついた頃から娘と遊び、家に送り迎えしてきた。「困ったことがあったら何でも言ってほしい。そして娘のことを忘れないでほしい」
 8月下旬、勤めていた製紙工場を辞めた。一緒に暮らし、造船業を営む義父の仕事を手伝うことにした。立ち上がり始めた漁師から船の製造や修理の発注が増えていた。「復興に役立てるなら」
 三條さんも、一歩を踏み出した。
(毎日新聞 9月7日(水)0時7分配信)



「息子よ生きろ」流れ込む土砂、窓から小6長男逃がし母は不明
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110906-00000542-san-soci

 台風12号による土砂崩れで住宅5棟が倒壊し、1人が死亡、4人が行方不明となった和歌山県田辺市伏菟野地区では、6日も自衛隊などが捜索を続けた。不明者の1人、山本郁代さん(38)は、行方が分からなくなる寸前、土砂で埋もれそうになる自宅で、身を挺して長男(11)を窓から逃がしたという。夫の農業、頼路(よりみち)さん(42)は「生きていてほしい。でも息子を助けてくれた妻のためにも、下を向いていられない」と思いをかみしめる。

 ■「必死に奥へ」
 頼路さんは土砂崩れが起きた4日未明、メキメキと家がきしむ音で目を覚ました。すぐに近くで寝ていた高校1年の長女(15)を起こし、玄関に向かって逃げたが、ドアを開けると土砂が流れ込んできた。「いろんな方向から流れ込んできて、隙間を縫うように、必死に奥へ逃げた」。土砂の量が多く、最後は2人とも天井に突き上げられたが、頼路さんが素手で屋根を壊して長女と一緒に脱出した。
 しかし、避難所に行くと小学6年の長男の姿しかない。郁代さんに窓から逃がしてもらった長男は「お母さんは逃げ遅れた」と泣きながら話した。
 台風が接近した3日夜、頼路さんは就寝前の家族全員に懐中電灯を持たせた。郁代さんには「もしものことがあったらすぐ動けるように、寝ないでほしい」と伝えていた。
 4日昼、母の正江さん(69)の遺体が発見されたが、郁代さんは土砂崩れが起きて2日以上たった今も行方不明のままだ。

 ■自宅30メートル東へ
 頼路さんは5日、捜索活動が行われている自宅を被災後初めて訪れた。自宅は元の場所から約30メートルも東に流されていた。
 「怖いし、思い出したくないから、なかなか家まで近づけなかった」と頼路さん。それでも「妻は伝えたことを実行して、息子を守ってくれた。子供たちも生きている。妻のためにも、いつまでもめそめそしていられないね」と話した。
(産経新聞 9月6日(火)12時51分配信)


 軽々しくコメントできないような内容ですが、東日本大震災と台風12号の記事で残しておきたいと思ったものをここに載せておきます。

ニュース | 【2011-09-09(Fri) 10:35:16】
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